- 初めてのハゼ釣り
父と私は、私が小学二年生の時に魚釣りを始めた。家から離れた河口でのハゼ釣りは初めてだった。母と姉も来て釣りの様子を眺めていた。その河口には多くの釣り人が居り、時折釣り船が往き来していた。秋口の午後でと…
- 日曜日の想ひ出
アストロボールの閉鎖後、家からは少し遠くにあるシルバーボールで父はそれまで通り日曜早朝ボーリングを続けた。 毎週日曜日の朝六時四〇分くらいに家を出たが、毎回のように私も付いて行った。シルバーボールは、…
- 父物語
今日二〇二〇年十一月十日、日本時間午後十二時七分に父は逝った。享年八十八歳。十日前の十月三〇日未明に父が施設から救急車で病院に運ばれた。その事を私は十一月三日に知った。入院診療計画書の内容は以下。 病…
- 古い記憶
最も古い父の記憶は、保育園に行く前の三歳か四歳の時だった。 ある夜、私は重たい腹痛を感じながら一人で遊んでいた。母が熊の胆を飲ませてくれた後、しばらくして突然、戻してしまった。その後、父がピストルのお…
- 砂場遊び
私が保育園に通っている時に保育園の近くの公園で父に遊んでもらったことがある。砂場で山を作って遊んだ。父は板切れを持ってきて一気に砂を集めてきて大きな山を作ってくれた。幼少の私はそんな光景をすごいなと思…
- アストロボール
父はボーリングが好きで、日曜日の早朝はいつもボーリング場に出かけた。父は、ボーリング場が主催している早朝ボーリングの会員になっており、毎週日曜日に出掛けて行った。成績によってポイントがもらえ、景品と交…
- 父の日常
父は海産物を扱っている卸問屋に勤めており、毎朝家を出るのは早かった。 そのため夜は九時半から十時には床に就いていた。通常とは違い 漁港や遠方の市場に行く時は、朝四時前に家を出る事もあった。 私が小学生…
- 自動車
父の自慢の一つは車の運転だった。父の若い頃はまだ車が一般的に普及する前だったが、その頃から大型運転免許を持っていた。そのため、運転は父のアイデンティティーの一つになっていた。 しかし、大型免許は若い頃…
- 街道沿いの休憩場
父が会社のトラックで私と姉をゲームセンターに連れて行ってくれた事があった。ゲームセンターと言っても、街道沿いにある休憩場のような小さな遊び場程度のものだった。夜間にトラックの運転手などが休憩できるよう…
- 烏瓜
あれはいつの頃だったろうか。まだ私が随分と小さかったころだった。おそらく小学生の低学年だったと思う。姉が皮膚炎になった時、烏瓜が効くというので林のようなところまで取りにいったことがあった。 車で一時間…
- 竹とんぼ
私が幼少の頃、年に数回ほど父に連れられ本家に行くことがあった。父は本家が好きでよく行っていた。 祖父の葬儀が本家で行われる時、父は準備のため忙しそうに作業をしていた。私は何かと待たされ、手持無沙汰のこ…
- ドライブ
小学生の頃、休日には父と母と三人でドライブに出かけたりした。姉は中学生で忙しく、別行動が多かった。いつもシーサイドラインを通り、スカイラインで山頂に行くコースを走った。シーサイドラインを走っている時に…
- 歌
父は歌が自慢の一つだった。父が若い頃、NHKのど自慢に出場したことがあるという。鐘は二つだった。当時、テレビ放映ではなくラジオだった。 私が小学生の頃、カラオケの機材を持っている親戚の家に集まり、父達…
- 運動会
父の会社は卸問屋の多く集まる団地にあった。年に一回、その団地にある会社が集まり大きな運動会が開催された。 県の陸上競技場で行われ、子供や家族連れで集まっていた。入場行進があり、社員達が四百メートル・ト…
- 釣りの帰り道
私が小学生の頃、日曜日はいつも父の早朝ボーリングに付いて行き、午後は釣りに出掛けた。仕掛けの針やおもり、餌などを買うのは私の役目だった。父はいつも私に「これで好きなものを買っておいでと」と千円を渡して…
- 夜明けの海
数えきれないほど父と釣りに行った。晴れた日で夕日が美しかった時、防波堤まで波が掛かる程の悪天候の時や、遠方の釣り場に行った時の事など様々な思い出がある。 船で出たことは一度もなく、防波堤からの投げ釣り…
- セーター
ほとんど使用していない父用のコートやセーターを母が送ってくれたことがあった。その中に、昔、私が父にプレゼントしたセーターがあった。そのセーターは、二十四年も前に私が初任給で買ってあげたものだった。 母…
- 豪雪の中で
大学二年生になる直前、それまで住んでいたアパートからマンションに引っ越した。アパートからマンションまでは駅一つ離れた場所だった。 引っ越す日に両親が車で上京し、荷物を運ぶ手伝いをしてくれた。三月初旬の…
- 家族旅行
家族旅行は、私が小学一、二年生の頃、温泉と佐渡に行った二回だった。 温泉旅行の時は、家から車で一時間半くらいの海岸沿いにある温泉街に行った。父と温泉に入った事と、休憩場でゲームをしたことを覚えている。…
- 運転免許証
就職する一年前に運転免許証を取得した。免許証を取得しても東京で一人暮らしをしている間は、車を運転することが無かった。運転は実家に帰った時、父に助手席に乗ってもらい練習した。 長期休暇の時、実家で毎日の…
- 手紙
東京で一人暮らしをするようになると、時折、両親が食べ物や日常品などを送ってくれた。荷物には手紙がいつも入っていた。当時は携帯電話やメールなどは何一つなかった時代で、連絡手段は電話か手紙だけだった。 父…
- 最初で最後の試合
私は中学・高校とバドミントンに明け暮れていた。大会の時は、家族に見に来られると緊張してしまうので、絶対に来ないで欲しいといつも伝えていた。今思えばあそこまで頑なに見に来ないで欲しい、と言う必要はなかっ…
- ジュークボックス
大学生になった最初の夏休みに帰省した時、家族でボーリングに行った。 私にとっては、希望の大学に入ることができ、東京で一人暮らしを始めた特別な年だった。心が晴れ晴れとし、気持ちも明るくなっていた。家族み…
- 駐在員
私が就職して十年近く経ち、英国に駐在員として派遣されることになった。 渡英する直前に皇居近くのパレスホテルで両親が壮行会を開いてくれた。そこには私の姉家族と妻の両親が招待されていた。広めの和室に皆が集…
- 英国旅行
私が駐在で渡英した翌年、両親を滞在期間一か月の英国旅行に招待した。両親は海外に行った経験は無く、英国に行く事など想像もつかなかったに違いない。私は空港に出迎えに行き、両親との再会を喜んだ。家に向かう途…
- カメラと釣り具
実家に帰った時、父はカメラと釣り具を私に見せ、「もういつ何時自分もどうなるか分からないから、このカメラと釣り具を私に残すために大切に取っておくから」と言っていた。 カメラは両親が結婚したての貧しかった…
- 今生の別れ
帰国は数年に一度だった。出張の場合がほとんどで滞在期間も一週間程度と短かく、父と会う機会も随分と減った。 英国で多忙な日々を過ごしているうちに、私は心臓疾患を患い緊急手術が必要となってしまった。二〇一…
- あとがき
父が旅立った後、私は記憶を辿り続けてきた。今もなお父が逝った事を実感できていない。父が七〇代の時、言っていた事がある。「自分の兄弟は皆、三の付く歳で亡くなっている。自分はきっと八十三歳だろうな。自分の…