寝台列車

自宅浪人中の期間は単調な日々だったため、季節の移り変わりの記憶があまりない。予備校の模擬試験も、いつ頃の季節にどれくらい受けたか覚えていない。

志望国立大学は関西地方にある大学に変更していたため、下見を兼ねて大阪にある予備校の模擬試験を受けに行ったことはよく覚えている。随分と冷え込んで来た十一月頃だった。ホテルや電車の手配はすべて母にやってもらい、付き添ってもらって行った。その頃の私は、そんな事すら自分では出来なかった。

安価なホテルが空いておらず、一泊一人二万円の東急ホテルしかなく、私は申し訳なくて堪らなかった。当日は、早朝の電車で大阪に向かい、ホテルに着いてみるとその高級さに驚いた。夕食はホテル近くの喫茶店風レストランで済ませた。バブル期だった当時、街は活気に溢れていた。

次の日に大学の下見に行ったが、ちょうど学園祭の日でとても賑やかだった。そんな賑やかさとは対照的に私の心は重かった。大学に向かう途中は学生街になっており、様々な安い定食屋が並んでいた。私と母は、昼食にうどん屋に入ったが、出汁がよく効きあっさりとした関西風のうどんがとても美味しかった。

その後、翌日の模擬試験会場への行き方を地下鉄に乗って確認した。御堂筋線の場所を駅員に尋ねた時、母が「ごみどうすじ」と読み、駅員が「ああ、みどうすじせん、ね」と教えてくれた時に二人で顔を見合わせて笑ったことが懐かしい。

翌日、模擬試験を終えた後、寝台列車に乗って帰宅の途についた。列車で横になりながら模擬試験の自己採点をしたり、車窓の景色を夜になっても飽きもせずいつまでも眺めていた。そんな母との旅行も、今となっては自宅浪人中の懐かしい思い出となっている。

一九八九年十一月