- プロローグ
‘Takayasu issue’.. それは突然の宣告だった。何の事なのか分からなかった。自分はただの弁膜症ではないのか?弁膜症の手術は無事に終わった。手術は驚くほど上手く行き、術後経過も極めて良好で…
- 遠い記憶の彼方
私のストーリーは、幼少の時から始まっていた。十二歳頃の時、学校の健康診断で心電図の波形が通常とは違うと言われ、再検査になったことがある。再検査の結果は異常なし。しかし、すでに異常があったのかもしれない…
- 記憶を辿る
大学生になり一人暮らしを始めた。その当時、私の住んでいたワンルームマンションの部屋には、スペースベッドといものが取り付けられていた。寝るときは天井から降ろして、起きたらまた天井の方に動かしておけるので…
- そして
社会人になる頃、トイレで少し出血に気がついたが大して気にかけなかった。痔だと恥ずかしいと思う程度だったが、同時にどこか不安だった。 比較的大きい病院に行ったが、診断はやはり痔だった。しかし、納得がいか…
- 謎の体調不良
社会人になってしばらくすると、食後に何となく気分が悪くなる回数が多くなった。食べるとまた気持ち悪くなるかもしれない、と恐怖に感じる時もあった。このような期間がかなり続いた。 普通ではないと思い大腸炎を…
- 今度は急性咽頭炎
二〇代も終わりに近づく秋頃、微熱とのどの痛みが続いていた。売薬を使いながら、食事をしっかり取るように心がけ、何とか日常生活を送っていた。ある時から、薬を飲んでも熱が下がらなくなっていた。病院で診てもら…
- 海外勤務
特に大きな体調不良もなく数年が経ったある日、入社時からの希望だった海外赴任の話が巡ってきた。自分の体調が海外赴任に対して問題ない旨、医師にレターを書いてもらった。 以前に何度か出張で行ったことのある地…
- 再び急性咽頭炎
体調も安定し平穏な日々が続いていたが、無理が祟りまた咽頭を悪くしてしまった。軽い咽頭炎から急性咽頭炎まで様々な喉の痛みを経験していたので、その病状の進行は経験的に知っていた。 抵抗力が落ちてくると、咽…
- ついに顕在化
二度目の急性咽頭炎の後、私の体調は良い時と悪い時を繰り返しており、次第に気分が悪い日々が増えていった。そして、遂に顕在化する時が来た。 駅の階段を駆け上がった時にひどい息切れを感じ、同時に眩暈がした。…
- Consultation
救急病院に行った四日後に心臓疾患の専門医の診察を受けた。初めに心電図と聴診器での診察後、重度の弁膜症の可能性が高いため、3Dエコーで詳しく見ることになった。 予想通りひどい弁膜症で、左心房もかなり肥大…
- 診察から入院日まで
3Dエコーで大動脈弁の閉まりが悪く、血液が心房にひどく逆流しているところを見た時、自分の体の状態を初めて理解した。 手術までは無理をしなければ普通に生活しても良いと言われた。その日から息が上がるような…
- 入院当日
ついに入院する日が来た。手術の前日に病院に入ることになっていた。 病院に入りadmission手続きを終え病室に案内された。ベッドで横になってると執刀医が入って来た。手術前の最後の説明と質問への回答、…
- 手術当日
手術の日が来た。早朝五時半の起床の予定だったが五時過ぎには目が覚めた。 昨晩はシャワーを浴びたあと殺菌用ウェットタオルで全身を拭いたが、当日の起床後も全く同じことを繰り返した。その後、手術用の衣類に着…
- ICU Day One
一瞬とても眩しかった。その一瞬の間に頭の中で様々ことが高速で巡った。自分は生きているのか、ここは天国なのか、こんなことを考えているということは生きて戻ってきた、ということなのか。そして、また記憶は途切…
- ICU Day Two
苦痛が果てしなく続くと感じられた。麻酔が残った状態で気分が悪い。 床ずれ防止や眠らせないためなのか、ベッドのマット部分が自動で様々な動きを繰り返した。完全に眠りそうになると、看護師から完全に寝てはいけ…
- ICU Day Three
朝なのか夜なのか何時なのか全く分からなかった。その日はベッドから起こされイスに無理やり座らされた。 コンソメスープが出されたが、ティースプーン一杯ほどの量すら喉を通らなかった。手術の時に心臓を停止させ…
- ICUのスタッフ
ICUのスタッフの人たちには本当に感謝している。もちろんその人たちだけではなく医療に携わっているすべての人を尊敬する。 国も違う他人の私を自分の家族のようにケアしてくれた。いくら仕事とはいえ誰にでもで…
- Rare Case…
病室に移った日の夜十時を過ぎたころ、一人のドクターが診察に来た。君の病状は非常にレアなケースなのだが、予想外に回復が早くて驚いている、と最初に説明を受けた。 この説明を聞いたときは「?」だった。何がレ…
- タ・カ・ヤ・ス…
翌日の夕方に執刀医が病室に来て、診察を終えたあと話をした。手術は実に上手くいった、本当によかった、と言われた。私は大動脈について質問をした。 執刀医は、「詳しく調べた結果、 “タカヤス イシュー ” …
- 食事が辛い
その後、「タカヤス」という言葉について触れられることはなかった。私もその事は全く忘れており、日々病室で回復につとめていた。病室に移って二日経つが食欲は無かった。 毎回食事は運ばれて来たが、全く食べれな…
- Warfarinに過敏に反応
病室に移って四日目から食欲が出てきた。夜中におなかがすいて朝食が待ち遠しかった。しかし、朝食が運ばれる直前から急に冷や汗が出てきて眩暈がし、気分が悪くすぐにベルを押した。看護師は鼻に酸素チューブを付け…
- 失ったもの得たもの
病気になる前は当たり前だった事が、そうではなくなった。点滴針があるので腕を自由に曲げられない、寝返りを打てない、トイレに行くことすることが大変、シャワーを自分で浴びれない、自分で服を着ることができない…
- 抜糸
その後順調に回復し、退院日が決まったので抜糸をすることになった。開胸した傷は、喉仏下あたりから、みぞおちくらいまであった。看護師が、開胸部分に張ってあった強力なガムテープのようなものを剥がし、太い釣り…
- 退院、そして家
ついに退院の日が来た。まだ普通に歩くにはほど遠いレベルだが随分回復した。当初の予定通り、手術後八日での退院となった。 その日から病院で行っていた投薬を自宅で行い、静養することになった。まだ抜糸の傷があ…
- 味覚の変化
手術後しばらくして食べ物の好みが変化していることに気が付いた。以前は、比較的甘いものが好きだったが、手術後は好んで食べたいとは思わなくなった。 とにかくご飯が食べたかった。食後は、チョコレートやお菓子…
- Unwelcome Letter
自宅で静養し、日々目に見えて回復していた。普通に歩けるようになってきたし、傷口の痛みも少しずつ緩和していた。そんなある日、執刀医からレターが届いた。そのレターは執刀医から先天性の疾患や特殊な心臓疾患を…
- そして今、私は生きている
あれから二年という歳月が過ぎ去った。あまりにも多くのことがあり、拒否した治療もあった。自分が選択した結果、今、がある。 二〇十七年八月
- 終わりの始まり
最初に心臓手術をしたのは二〇十五年夏だった。手術後、一、二年は体調も良かったが、その後、次第に気分が悪くなる日が増えていった。あの手術は、終わりの始まりだった。 心臓そのものが悪いわけではなく、免疫疾…
- 再び検査の日々
二度目の手術に向け、再び検査を受ける日々が続いた。いくつかの検査の中で、前回と同様にTOEが辛かった。 胃カメラに似ており、内視鏡を口から入れ、食道から心臓をモニターする検査だった。TOEは、胃カメラ…
- 二度目の手術前日
二度目の手術は、最先端循環器センターでの手術となり、前回とは違う病院だった。そのような機関で手術を受けられる事に感謝した。同時に、自分の疾患が、そのような場所で行われなければならないほど深刻だ、という…
- 手術室
当日、早朝六時前に起床し、病室で看護師とともに手術の準備をした。一通り終えた頃、麻酔師が病室に入って来て、様々な問診を行った。その後、鎮静剤を飲む事なく、手術室の隣の部屋にベッドごと移動した。 移動後…
- ITU
ITUでは、看護師が付きっきりで看病してくれていた。できるだけ早く回復させるため、ITU 二日目に看護師数人で私をベッドから起き上がらせ、椅子に移動させた。私は、支えられながらベッドから立ち上がった瞬…
- 五%以下の可能性
手術前のconsent formサイン時に、成功確率は九二%、心臓ペースメーカーを埋め込む必要が生じる可能性が五%以下、との説明を受けていた。 ITU 三日目に、医師が訪れ、私の心臓の動きが弱くペース…
- ITUから病室へ
ITU 五日目の午後、私はお世話になった看護師にお礼を済ませ、ベッドごと病室に移動した。その頃から、食欲も少しずつ戻って来ており、回復していることが実感できていた。 手術中は、人工心肺機能を使用し、心…
- 傷口の処置
二度目の手術の時は、抜糸不要のステッチで開胸部分を閉じていたため、前回よりも楽だった。少し驚いた事は、ステッチで縫い合わせた部分に超音波によって傷口が早く治癒する装置が付けられていた事だった。 最初の…
- 退院前日のひと時
退院前日、体に付いているものは、カニュラと心電図装置だけとなった。その頃には、病棟を自由に歩き、身の回りの事も自分で出来るようになっていた。 その夜、看護師の一人が日本について話しに来た。彼は、日本に…
- 二度の手術を終えて
静養を終え、オフィスに復帰した後は、複数の病院で免疫疾患や心臓疾患の三つの診療科で治療を受けている。 最初の手術後に高安大動脈炎であることが分かり、私は五年生存が絶対ではない事を覚悟した。しかし、二度…