家のある場所は、その辺りの地域では高台になっていた。奥まった狭い道路から少し入った袋小路になっている所に家があった。家の概観は昔ながらの普通の一軒屋で、改築前は外壁の色が濃いエンジのような感じだった気がするが定かではない。玄関の前に小さな門があり、門から玄関までは二、三メートルあった。玄関は開けるとガラガラという音がした。
門のすぐ左手には立派な紫陽花があった。紫陽花の色は美しい青紫色だった。そんな色を見ると今でも郷愁を誘う。右手はブロック塀で隣の家と仕切られていた。そのブロック塀と家の隙間はとても狭く、私が幼少の頃の身体の大きさでも狭く感じるくらいの幅だった。左手は庭に通じる通路が五、六メートルあり、幅はやや狭かったがその通路の左側は花壇になっており小さな植木がいくつもあった。
玄関を入ると真っ直ぐな廊下が奥まで続いていた。玄関から入ってすぐ左側に居間、廊下をはさんで右側に洗面所と汲取り式便所がった。居間を通り過ぎると左側に二階に上がる階段があり、その階段を通り過ぎると床の間があった。床の間の向かいに台所があり、廊下の一番奥の右側に風呂があった。廊下の一番奥の突当たりに小さな書斎があった。二階には襖で仕切られた部屋が二つあった。
居間の記憶ははっきり残っていないが、小奇麗な畳の部屋だった。隅には押入れがあり掃除機や古新聞が置いてあったような気がする。床の間は掛け軸が掛けてあり、大きめの押入れがあった。押入れの上段と下段があり布団が収納してあった。台所は比較的広めで小さめのテーブルをおいて食事をするスペースがあった。細かく分かれた収納には様々な乾物が置いてあった。風呂は広めに感じたが、シャワーなどは当然無く、湯船のお湯で体や頭を流した。風呂は毎日入ることはなく、週に三回くらいだった。廊下の突当たりの部屋はとても小さく、風呂と隣り合っていたこともあったのか、いつもじめじめした場所だった。二階の部屋は階段を上ると右手にあり眺めも日当たりも良かった。
庭は線路に面していて、ブロック塀で仕切られていた。左側にあった無花果の木が特に印象に残っている。無花果の実ができると取って食べたものだった。白い樹液が手に着くとそこが痒くなったことを覚えている。汽車が通る度、騒音と共に汽車の屋根が見えた。線路の向こうには厚みのある松林が茂っていた。庭の右奥には倉庫があり、様々な古めかしい日曜大工用の道具や雪かき用のスコップ、ジュースやビールなどが入ったケースがいつも二段重ねて置いてあった。その薄暗い倉庫に入っていろいろな道具を見たり、隠れてみたりすることが楽しかった。
一九七〇年代