底辺の生活

結婚当初、父はリヤカーで炭を売る社員数名の会社で働いていた。そこでの収入だけでは生活して行けず、母が地道に貯めた貴重な蓄えはすべて生活費となって消えていった。

その会社はすぐに無くなり、父は、その会社の社長の親族がやっている零細の卸問屋に、口利きで入ることになった。新しい会社の近くに引っ越すため、母は呉服問屋を辞めなければならなかった。

そこでの住まいは想像を超える酷いものだった。そこは、港の近くにある社用の倉庫を何とか人が住めるように改造したような場所で、まともな住居とはとても言えない所だった。

その場所には同僚社員が何家族か既に暮らしており、六畳一間で風呂無しトイレ共同、小さな炊事場が部屋に付いていた。コンロは部屋の中には無く、各部屋の前の廊下に其々置いてあり、廊下で使用するようになっていた。

その会社の社員は皆十五、六歳から丁稚奉公で入り共同で生活していた者ばかりだった。母と父は新参者で、まだまだ封建的であった当時、何かと風当たりがきつかったことは想像に難くない。

良い生活を送れる時が来るなど想像もできない辛い日々だった。