母は、満足には教育を受けることができないまま義務教育を終えると、すぐに住み込みで働きに出された。最初の住み込みの場所は実家からかなり離れた農家だった。
年季奉公のような労働形態で、前もって実家に賃金が支払われていたようだったという。当時の農業は現在とは違い、機械など無くほとんどの作業は手で行われ、大変な重労働だった。その過酷さは、人一倍苦労した母の経験の中でも群を抜いていた。
その当時は、公地整理が行われる遥か前で、田んぼの合間を蛇行している掘や川が至る所にあった。田んぼの形も今のように四角ではなく、様々な形をしていたという。
重労働に追われる日々の中で、筏で川を渡って遊んだり、時折行われる村の運動会がとても楽しかった思い出となっている。
村には青年団というものがあり、その青年達が村の行事などを執り行っていたようだった。母は、その青年団長と仲良くなって、いっしょに筏で遊んだりしたという。時には川に落ちたりしたことも楽しかった思い出の一つとなっている。また、夜にはお祭りを楽しんだりもした。ゆったりとした時の流れの中、月の明かりに照らされたノスタルジックな光景だったのだろう。
こんな幻想的な出来事がひと時でもあったことに私は安堵した。
