母は戦中の時代に生まれ、激動の世の中で幼少期を過ごした。母の育った家は茶屋を営んでいた。周囲はほとんど農家であったが、祖父は農業があまり好きではなく、生計を立てるために商店を始めたのだという。
家の玄関が茶屋になっており、商品を並べられるように広く作ってあった。そこに食べ物や雑貨を置いて売っていた。
母が幼少の頃は、看板娘として近所からちやほやされたこともあった。母は「そんな良かった時もあった」としみじみ話をする。
物資は不足しており食料事情は厳しさを増していたが、実家が茶屋を営んでいたこともあり、家には売り物の食べ物がそれなりにあった。
お腹を空かせた幼少の子供が我慢できるはずもなく、つまみ食いをしているところを見つかってよく怒られたという。特に、その当時とても高価だった台湾バナナをこっそり食べたときの味は、今でも忘れることができない甘さと美味しさだった。
時は、太平洋戦争の最中だった。