私は、予備校等に通うことはせずに自宅で一人で勉強することを選んだ。一週間に一回の英語塾に通う事はそれまで通り継続し、その他にZ会の通信教育をやることにした。高校三年生を終え、自宅浪人を選んだのは私だけだった。
予備校に行かなかった理由は、三年生の時にいくつか講習を受講したが、高額なだけで意味がなく無駄だと思ったからだった。母は、どこにも所属せずに一人家で勉強すると言った私を心配に思ったに違いない。しかし、その時の私は、この方法が自分に最も適していると言える自信があった。
朝から晩まで数学の問題を解き続けた。次第に生活リズムが夜型となっていったが、構うことなく継続した。解けない問題があれば、ベッドに横になり考え続けているうちに眠ってしまうこともしばしばだった。
外出するのは英語塾に行く時か、本屋に参考書を買いに行く時くらいで、疲れた時は部屋の窓から遠くに見える山脈を気が済むまで眺めた。母は、早朝にでも少し走って体を動かした方が良いのでは、と言ってくれていた。しかし、私は聞く耳を持たず、部屋に閉じこもり数学を勉強し続けた。そんな私の生活についても母はとても心配していたと思う。
父は単身赴任で週末以外は家におらず、母と姉も朝に出勤するため、朝八時半頃までには家にいるのは私一人だけとなっていた。母は、仕事をしているにも関わらず、私の昼食を用意してから家を出た。その時は何も分からなかったが、大変な苦労をかけていた。そして、その昼食を三十分のドラマを見ながら食べることが日課になっており、それが唯一息抜きの場だった。
夕方に皆が帰宅し、夕食を食べている時もろくに話もせず数学の問題を頭の中で考え続けていた。そんな自ら望んだ孤独な日々が日常であり、私はこれこそが自分の進むべき道だと思っていた。
一九八九年