バドミントンを終えて

高校時代にバドミントンの試合をするのは、地方大会での団体戦を残すのみとなった。私の高校は、一年前と同様にインターハイには繋がらないことが確定していた。私にとって次に繋がらない試合は、いかなるものでも価値は無くただの消化試合に過ぎなかった。

県大会が終わった後から地方大会までの間、それまでとは一転して、私はもう真剣に練習をしなかった。授業が終わり、部室に寄ってから今日は部活には出ないと伝え帰宅したりもした。そんな私の態度に顧問の先生や部員は、何も言わなかった。これまで私が真剣にバドミントンに向き合ってきたことや次に繋がらない大会のための練習には意味がないという私の考えを皆知っていたからだった。地方大会は一年前と同じように観光気分で、試合も練習不足のため足が動かず簡単に負けたが、それで良かった。こうして中学、高校とバドミントンに打ち込んできた日々が本当に終わった。

バドミントンと共に過ごした十代を振り返ると、両親に試合をしている姿を見せてやらなかった事が心残りだった。それは、緊張するから見に来ないで欲しいと常々言っていたからだった。その時の私は、少しでも集中力を逸らすようなことは避けたいと思っていた。ただ、県大会でのシングルス準々決勝の時だけ、父と姉が見に来ていたと後で聞いた。私に気付かれないように隠れて見ていたという。私の最も印象に残っている試合を家族に見てもらえていたことを後に有難いと思った。私は、母にも見せてやりたかったと今も後悔の念が残っている。

そして、未だに県大会でのあの時の二本のサーブが忘れられない。団体戦の地方大会出場を決めた後の試合で、どこか気が緩み絶対に勝つという強い意思が保てなかったのではないか、どこかで勝負をあきらめたのではないか、あの時に一瞬でも集中力を欠いたとしたらそれはどうしてか、と今でも考えている。

勝負とは一体何なのか。それは、絶対にあきらめない強い意思を自分に誓えているか、ということだと思っている。あの時はその誓いが揺らいだのだろう。私が高校時代に何か得たものがあるとすれば、このような勝負に対する哲学だった。

一九八八年六月