全国大会

小学六年生の時にサッカーの県大会で優勝し、全国大会に出場することになった。決勝が終わった後、テレビ局の人からユニフォームを脱いでそれを手に持って振り回しながらグランドを走って一周して欲しい、と言われた。感動的な番組に仕立てるためにそのような映像が欲しかったのだろう。私にはそのようなことはどうでもよく、優勝したことについても何の感情も湧いてこなかった。私は喜んでいるチームメイトを冷めた目で見ていただけだった。

第六回全日本少年サッカー大会は、夏休み中に読売ランドで行われた。特急で六時間かけて上野に到着した。当時の上野駅構内にはホームレスが数多く寝ていた。聞かされてはいたが、そのような光景を初めて見た時は衝撃的だった。

そこから電車を乗り継ぎ、よみうりランド駅に着いた時は小さな山の頂上にあるように見えた読売ランドを見上げた。駅からそこまでは直通で行ける長い動く歩道があった。大会会場に隣接した寄宿舎に入った後、私はそのような所に来てまで、食事が食べられるだろうか、ということが最大の心配事だった。

翌朝の開会式でグラウンドを行進したあと、一通りの挨拶があったが、「明るく、楽しく、逞しく」をモットーにという内容だった。式を終え試合が開始された。各都道府県で優勝したチームだけが集まっているため、当然のことながらそのレベルは高かった。中学生にしか見えない体格の子供も数多くいた。

私のチームが勝てたのは一試合で、引き分けが一つあったがどうかだった。私は、正式な試合には一度も出場しておらず、それ以外の親善試合に一、二度、途中から入った程度だった。その時も、試合のことなどどうでも良く、はやく滞在期間が終わって欲しいと思っていた。

私の記憶に残っているのはサッカーの試合よりも、夕食が多すぎて食べれなくて困ったことや、そこでの生活が嫌で帰りたくなり、滞在中に仮病で一、二日具合の悪い振りをして部屋で寝ていたことだった。そのような状態ではあったが、読売ランド遊園地で遊ぶ機会があり、その時は楽しかった。それ以外では、すべての試合が終了し、夜に行われたキャンプ・ファイアは幻想的で楽しかった記憶として残っている。結局、私の全国大会は「明るく、楽しく、逞しく」からはかけ離れていた。大人には、私はまだそのような精神年齢だと見えていたに違いない。しかし、その時はそれが私の精一杯だった。

帰宅する当日に、みんなで宿舎内にあった記念品コーナーでお土産を買った。私は、アディダスのスパイクと小さなバッグを買った。スパイクはその後使用してしまい今は無いが、バッグは今も記念品として大切に取ってある。たまにそのバッグを見ると、その時の記憶が蘇ってくる。

帰りの特急では六時間という乗車時間が長く感じられた。電車の中でチームメイトの何人かが悪ふざけをして監督からビンタをされていた。それを見た一般の同乗男性が、子供に何という事をするのだ、と声を荒げて監督にクレームをしていた。監督は無言で無視をしていた。ビンタをされた子たちは、後になって、他人が余計な口を挟むなと監督を擁護することを他のチームメイト話していた。今思い返しても監督や子供達の感覚は異常であり、当時の世相をよく表していた。

私にとっての全国大会とは、その栄光とは裏腹に思い出すことが辛い出来事の一つとなっている。

一九八二年