小学二年か三年の頃にオタマジャクシを大量に取っていた時期があった。家の近くに沼があり、毎日のように取りに行った。カエルの卵がオタマジャクシになり、やがてカエルのなるまでの過程を見たいと思っていた。
オタマジャクシは、大きなたらい二つに入れて玄関に置い。そのオタマジャクシの数は百や二百ではなかった。小さなオタマジャクシがたらいの中でびっしりと蠢いていた。オタマジャクシを玄関に置いた日、母が仕事から帰宅して初めてそれを目にしたときは腰を抜かすほど驚き、背筋が寒くなったと言っていた。
クラスの友達が私の家に遊びに来たとき、母はオタマジャクシを数匹その友達にあげなさい、と言った。私はあげるのが嫌だったが、嫌々あげた覚えがある。今思えば、大量にいたのだからもっとたくさんあげればよかったと後悔するが、あの時は一匹でも取るのに苦労したんだ、ということを両親に繰り返し言っていた。
両親の知り合いが家に来た時に、父が、自分の息子が「一匹でも取るに苦労したと一丁前のことを言って友達にオタマジャクシをあげたがらない」と揶揄しながら話していた。
実際、取るのはそこまで簡単なことではなかった。その沼は衛生的にも悪く、今であればまず素足で入るような場所ではなかった。素足でドロドロになりながらオタマジャクシを追いかけるのだが、気が付くと足には蛭が何匹もくっ付いており、それを剥がすと跡には血が滲んでいた。
私は現代にして原因が良く分かっていない先天性と言われている心臓病を患っているが、あの不衛生な沼で遊んでいた時に、何かに感染でもしたのではないかと思う時がある。
オタマジャクシを入れ物に入れて家に帰る途中、中学生になった下校中の姉に会ったりもした。私は、姉に自慢気にオタマジャクシを見せたりしたが、姉はただ気持ち悪いだけだったに違いない。
休みの日にはオタマジャクシの入ったたらいを玄関の外に出しておいたりしたが、鳥がオタマジャクシを食べてしまったりすることもあった。また、そのうちにオタマジャクシに足が生えてきた後、小さなカエルに変化し始めた。私はその変化に感動し、興奮を抑えられなかった。家族からすれば気持ち悪く迷惑だったと思うが、私に満足行くまで生き物と触れさせてくれた。
学校に行くのを嫌がっていても、生き物を追いかけている時は目を輝かせている私を家族は見守ってくれていたのだと思う。
一九七九年