第一章 茶屋の姉娘
- 茶屋の姉娘母は戦中の時代に生まれ、激動の世の中で幼少期を過ごした。母の育った家は茶屋を営んでいた。周囲はほとんど農家であったが、祖父は農業があまり好きではなく、生計を立てるために商店を始めたのだという。 家の玄…
- 学校母は弟を背中に負ぶって学校に行ったという。時にはその重さで後ろにひっくり返りそうにもなった。折角、学校に行くことができても避難訓練ばかりで勉強をあまりさせてもらえなかった。 「おしん」と言うドラマが一…
- 鮒売終戦後の食料事情はより一層厳しくなっていった。 配給が始まり、豆の粉やサメの肉、醤油などを貰ったが、それだけでは不十分で、祖父は鰻や鮒などの川魚を取ったりしていた。兄弟は鰻を料亭に、祖母は鮒を芸者小屋…
- 筏の思い出母は、満足には教育を受けることができないまま義務教育を終えると、すぐに住み込みで働きに出された。最初の住み込みの場所は実家からかなり離れた農家だった。 年季奉公のような労働形態で、前もって実家に賃金が…
- 巣立つ時農家での住み込みは年季が明けた後に辞め、次は自分で生活していくため呉服問屋に住み込みで働くことを決めた。筏の思い出を胸に巣立った時だった。 もともと接客業を望んでいた母には、服を売ったりする仕事は向い…
第二章 碧空の下で
- 翻弄される人生住み込み生活もそれなりに長くなってきたある日、店に一本の電話が掛かってきた。父からであった。 おかみさんが受けたその電話は「住み込みで働いている背の高い方が云々・・・」という話だったらしい。背の高い方…
- 暗雲漂う船出母は自分の思いとは裏腹に結婚せざるを得なかった。父が二度目の結婚ということもあり結婚式は行われず、料亭で親戚が集まり盃を酌み交わす程度の質素なものだったという。八月真夏の新婚旅行は、わずか一泊だけだっ…
- 底辺の生活結婚当初、父はリヤカーで炭を売る社員数名の会社で働いていた。そこでの収入だけでは生活して行けず、母が地道に貯めた貴重な蓄えはすべて生活費となって消えていった。 その会社はすぐに無くなり、父は、その会社…
- 惨めだったあの時日々の生活では、やはりお金が無かったことが何と言っても辛かった。 近所の奥さん方から、時折、繁華街の市場へ買い物に誘われたが、母はお金が無くて行けなかった。お金が無いとは言えるはずも無く、様々な理由を…
- 寝耳に水時の世の中は、高度経済成長の直中にあった。貧しい片田舎ではそんな恩恵も限られていたが、それでも少しずつ給料は増え、昨年よりは今年、今年よりは来年の方が良いという時代の流れに乗っていた。 そんなある時、…
- 雨のち雨時は、上り坂の好景気に沸き立っていた。 高度経済成長期とあって、銀行からはお金を借り易かった。母は銀行から借金をして、その他にも四方八方からお金をかき集めた。しかし、どうしても土地の支払いには少し足り…
- 降り止んだ雨土地を買ってから五年という歳月が過ぎた。 その間に私の姉が生まれていた。土地を買った後、何とかお金を貯め続け、やっと家を建てる目途が付いた。そして、ついに一戸建ての家を建てることができた。 コンロを廊…
- 凪模様新居に移った後も苦しい生活は変るはずもなく、家計と住宅ローンのため、母は家事とパートに追われる忙しい日々を送っていた。 母の苦労が絶えることはなかったが、少なくとも自分の家で落ち着いて暮らすことが出来…
- 碧空の下で接客業が好きだった母が、本来の自分に向いている仕事に就いた。低賃金でしか働いたことのない母は、基本給の高さに驚いたという。数ヶ月の研修期間を経て徐々に仕事に慣れてくると、ついに母の快進撃が始まった。 …
第三章 黄金の時
- 時は流れ母は、定年後に二年間それまで通り仕事を続けたあと、本当の意味での定年を迎えた。苦汁に満ちた長い道のりだったに違いない。長い戦いを終えた母の目には、苦労と経験に裏打ちされた深い温かさが溢れていた。 定年…
- 薄暗い廊下激痛が胸に走る数日前、似たような痛みで総合病院に行っており、その時は肋間神経痛と言われて安心していた所だった。しかし、二度目は激しい吐き気を伴い、今までに経験したことの無い耐え難い痛みだった。母は、ト…
- 夜間の急患病院に着くと、事前に母から連絡を受けていた医師や看護婦が入り口で待っていた。母は看護婦に支えられながら車を降りて病院に入って行った。 夜間の急患なので車は入り口に置いたままで構わないと看護婦に言われて…
- 死線をくぐり抜けて「峠は無事に超え、今のところ大丈夫」と姉から連絡があった。心臓の一部が壊死し、機能が二十パーセントくらい低下してしまったが脳に障害も残らず、リハビリで徐々に回復するとのことだった。集中治療室から一般病…
- 喜びの再開「もう会えないと思ったよ、でも会えて本当に良かった」と母は涙を浮かべながら言った。手術後初めての再会だった。母はかなり消耗していたが、話もしっかりできてひと安心だった。そして、母の明晰な頭脳が、病気以…
- 早朝の困惑私は姉の家と実家を行き来していたが、ある時、父は「この間まで仲良くやっていたのに何で急にへそを曲げてしまったのだろうか。自分が何か悪いことでも言ってしまったのだろうか」と母が未だ家に帰って来ないことを…
- 手術後初めての帰宅父は「母に帰ってきて欲しい。今度は自分が母の世話をしてやりたい、何でも言い付けてもらえば自分がすべてやるから」と私に言った。私はその言葉に真実味を感じることができなかった。 母にそのことを伝えると、母…
- 本能的な目論見ひと段落した後、母と私は、母が現役時代からよく通っていた喫茶店で今後について話をした。ふと、これまで一番良い思いをしたのは誰だろうか、という話になった時、母と私は息を呑んだ。 父の収入や金銭感覚では父…
- 最初で最後の話合い母と私は喫茶店から実家に戻り、この時初めて、母は今までの怒りを父にすべて伝えた。父は何を言われても頷くだけだった。まるで子供がしかられている最中、やり過ごすためじっとしているかのようだった。 そして、…
- 黄金の時父との話合いの後、母は実家に戻った。母は、リハビリも兼ねて外出するようにし、出来るだけ父との接触を避けるようにして過ごしてきた。しかし、あの夜の記憶は決して消えることなく母を悩まし続けていた。 だが、…
第四章 追記:一つの結論
- 新たな視点過去の出来事を整理していく中で、父に対する違った視点が見えてきた。 現在、父はアルツハイマーと診断されているが、脳のMRIを行ったときに医師は相当以前から脳が萎縮していた可能性がある、と言っていた。 …
- 七年前一面の真理が明らかになった七年前の夏は本当に暑かった。 あの時、私が父に言った事や父自身が言った事を、父はその後しばらくして忘れてしまったようだった。父は、何を言われていたのか、なぜ皆が怒っていたのか…
- 癒えない傷五十年以上一緒に暮らし父を見てきた母の視点からは、冷静に見た上でそんな簡単に整合性が取れるわけではなかった。 「自分に都合の悪いことは一切言わず、都合の良いように変えた話が次々と口から出てくる。その時…
- 一つの結論母に対する父の態度は子供達に対するそれとは明らかに違った。 父は、母が言うあらゆることに対してまず反発して見せ、結局、後で母の言う通りにすることが多かった。父にとって母はどのような存在だったのだろうか…
- あとがき母の話をノートに書き留めながら、母が生き抜いた戦中・戦後の時代に思いを馳せてみると、その貧さは今では考えられないものだった。「その時は辛いとか思うよりとにかく必死だった」と母は繰り返し言う。一方で、手…