母は、定年後に二年間それまで通り仕事を続けたあと、本当の意味での定年を迎えた。苦汁に満ちた長い道のりだったに違いない。長い戦いを終えた母の目には、苦労と経験に裏打ちされた深い温かさが溢れていた。
定年後には、子供の頃からやりたかった絵画を思う存分楽しんだ。母が小学生の時、終戦直前くらいに店仕舞いした実家には、まだ商品だった雑貨が残っていた。その中に二十四色の色鉛筆を見つけ、母はどうしてもそれが欲しくて、祖父に手持ちの小遣いを渡しその鉛筆を貰ったという。それ程までに絵を描きたかったのだろう。
また、忙しくする時と言えば、孫が生まれたときだったり、姉や私が母の手を借りるようなときだった。初めて母が私の家に遊びに来た時は、初めての海外旅行でもあった。まともな結婚式も新婚旅行もした事の無かった母へのせめてものプレゼントだった。そんな日常が、幼少期から辛酸をなめ続けてきた母の心を癒していたと思いたい。
そのような穏やかな月日が十年以上も流れたある日、母の胸に激痛が走った。