日曜日の想ひ出

アストロボールの閉鎖後、家からは少し遠くにあるシルバーボールで父はそれまで通り日曜早朝ボーリングを続けた。

毎週日曜日の朝六時四〇分くらいに家を出たが、毎回のように私も付いて行った。シルバーボールは、アストロボールよりも大きく綺麗だった。そこでは、公式試合がよく開催されており、全国的にも有数のボーリング場だった。フロアは広くて端から端まで相当な距離があり、よくかけっこをして遊んだ。端の方には景品が展示されたガラスケースがあり、ずらりと並んでいる景品を羨望の眼差しで眺めたものだった。

父の早朝大会が九時前くらいに終わると、メインフロアの下の階にある会議室に会員が集まり、そこで成績が発表された。それと同時に皆に軽食が振舞われた。私も父について行きその会議室に居たこともあった。父の軽食をもらったり、たまに他の会員が私にくれたりしたこともあった。厚いトーストと目玉焼きにパスタが添えてあるような食事で、私にはそれがとても豪華に思えた。成績によってポイントがもらえるが、必ずしも成績順だけではなく、飛び賞といって、飛び飛びの順位に当たるとゲーム無料券やポイントがもらえた。それが終わる頃には、一般のお客さんが入ってくる時間になっていた。

早朝ボーリングには、姉もいっしょに行くことがあった。父が試合をしている間、私と姉は近くのミスドに行ったり、マックに行ったりした。私はそれが楽しくて仕方なかった。

父の試合が終わった後に、私と姉でボーリングを二、三ゲーム投げたりすることもあった。姉はとても上手だったが、私は上手くいかず不貞腐れることも度々あった。スコアも手で書いていた時代で、スコア表の空いているスペースによく落書きしたことが懐かしい。

一九七二年七月一日にオープンしたシルバーボールも二〇十一年六月三十日に幕を閉じた。あの楽しかった日々から時は流れ、今は昔の物語のように感じる。

二〇二〇年十一月十日十二時七分