最後の県大会

県大会は、家から行くことのできる総合体育館で行われた。県大会の記憶は、ある一つの試合以外は残っていない。団体戦は、ベスト四に残り地方大会には進めたが、準決勝で負けたため一年前と同様にインターハイには繋がらないことが確定していた。私は、個人戦では県大会より先に進めたことは一度も無く、高校時代最後の大会では、個人戦シングルスでの地方大会出場も目指していた。

その一つの試合とは、シングルス準々決勝での試合だった。相手は強く、一、二セット共に接戦で、私と相手で一セットずつ取った。三セット目もシーソーゲームだった。いくら粘っても相手も粘りお互い譲らなかった。そんな白熱した三セット目の途中から、三年生の部員が大泣きしながら私を応援してくれていた。無心でシャトルを追い続けている中、その部員の姿が目に入っていた。

三セット目の九点、十点目を争う重要な局面で、私は連続でサーブを二回外してしまった。この時、私は幸運の女神に見放されたと感じた。結局、それが致命的となり私は敗退した。試合後、私のために泣いてくれた同僚は「お前があそこまでやってもあと一本が取れない、取っても取り返される、勝てない、というのが悔しくて涙が止まらなかった」と話してくれた。こんなことも高校時代の貴重な思い出となった。

まだ団体戦の地方大会が数週間後に控えてはいたが、私のバドミントンに明け暮れた日々はここで終わった。結果に対しては、やるだけの事をやったのだから満足であり嬉しくもあったが、これで終わったのかと思うと寂しさが心に広がっていた。

一九八八年六月