高校受験を数か月後に控えた冬だった。学校が終わると一分一秒を惜しむように一目散に帰り、学校でもらった問題集や塾の問題集、自分で買った問題集などをひたすら繰り返しやった。裕福ではない家庭だったが適度な広さの良い部屋を使わせてもらえていたのだと今になって思う。
その部屋は二階にあり、いつも窓から景色を眺めていた。遥か遠くには山脈が広がっていて、近くには林があった。朝焼けや夕焼けが本当に美しかった。その景色を眺めているときはいつも何かが心にひっかかるような寂しさを感じていたような気がする。どことなく気持ちの満たされない切なさだったのかもしれない。
その頃は、早朝に放映されていた釣りキチ三平をビデオに録画しておき、下校した後、勉強する前にそれを見ることを楽しみにしていた時もあった。自分なりにそうやってストレスを緩和していたのだろう。
志望校を決める三者面談があった。第一志望は県下一の公立高校だった。第二志望は私立高校。通常は第一志望の公立高校と滑り止めの私立高校の二つに願書を出すことが多かったが、私は万が一第二志望もだめだった時のために第三志望の私立高校にも願書を出したいと先生に言った。先生は私なら第二志望に落ちることはまずないだろうから第二志望までで良いと思うと言われたが、結局、三つ目にも願書を出した。先生からとても慎重な性格だねと言われたことをよく覚えている。
受験の半年前くらいからは毎月県内のすべての中学校が受ける共通模擬テストがあって順位も毎回知らされる。県下一の高校だったので、全受験者の中で四五〇番以内に入っていないと合格は難しかった。私は、願書を提出する時までにその模擬試験で四五〇番以内に入ったことは一度もなかったのだ。自分にとってその高校を受験するということは、一世一代の大勝負だった。合格できる可能性は高くはなく、常ににどこか不安で緊張していた。だから第二志望までの願書提出では不安で仕方なかったのだ。結局、最後までその共通模擬テストで四五〇番以内に入ることはなかった。
その当時の毎日は、とにかく気分が晴れることはなくその大勝負に勝つことだけを考えて一心不乱にできる限りの努力をした。
一九八五年冬~一九八六年二月