サッカー部では小学時代最後の小さな大会に向けて練習をしていた。全国大会出場校だったこともあり、中学生と練習試合をしたことがあった。
私は、激しくボールを取り合っていた時に転倒し、右手のつき方が悪く骨折してしまった。その時の痛みは全身に電気が走るような激痛だった。右手首が折れ、その折れた手首が別の骨に重なってしまい、見るからに歪な形になっていた。それを見た私は、痛みとは別に手を失うのではという恐怖で一層泣いてしまった。骨折の度合いは複雑骨折に近かった。
練習試合を見ていた父兄の中に整形外科の医師がおり、その人が直ぐに自分の所属している病院に処置をするよう電話をしてくれた。その日は日曜日だったため、通常であればそんなに直ぐに診てもらう事はできなかったに違いない。
私は、右手を板にのせてタクシーでその病院に向かった。少しの揺れでも激痛が走り辛かった。病院に着くとベッドに乗せられて、全身麻酔をして処置をすることになった。目が覚めた時に麻酔の副作用で目の前が黄色くなりムカムカと気分が悪くなったが、しばらくして治まった。その日は夜も遅い時間になっており、そのまま一日入院することになった。
その後、ギプスをしながら学校に通ったが、右手が使えないので左手で字を書いた。通常の骨折なら一か月程度でギプスは外されるが、私は四か月くらい外すことが出来なかった。最初の一か月は石膏のギプスだったが、それ以降は長期間となるため、入浴可能なプラスチックのギプスになった。
その間は、図工の時間が特に苦労した。左手しか使えないので絵も上手く書けないし、工作もできなかった。左手でむりやり書いた絵は当然出来はよくないが、何とか仕上げた。秋の展覧会では、自分の作品も飾られたが、本来はもっと上手く出来るのにと悔しい思いをした。
骨折をしたことでサッカー部最後の大会に私は出場できず、ベンチで見ているだけだった。元々好きではないサッカーだったため、それでも何とも思わなかった。むしろ、これでやっと終わるとほっとしたくらいだった。
一九八二年