補欠

サッカー部に入部後しばらくして、補欠ではあったが一軍に選ばれた。私は、持久力があり、そこそこ運動神経は良かったので普通にやっていれば一軍に選ばれることは難しいことではなかった。しかし、サッカーを好きになることはなく、それ以上の上達もなくレギュラーになることは一度もなかった。

サッカーを好きに慣れなかった一番の理由は、自分のミスが他のメンバーに迷惑をかけると強く思っていたことと、周囲もミスを受け入れる雰囲気ではなかったことだった。引っ込み思案の私は、失敗は許されないと思えば思うほど萎縮してミスを重ねた。

私が試合に出される時は、監督が私を試合の中で使いレギュラーになれる力があるかを見る時か、試合を見に来ている親の目に配慮して、試合終了数分前に選手交代する時くらいだった。特に後者の場合は耐え難い屈辱だった。

全国大会出場を決める県大会の決勝戦に出場した時は地元テレビでも中継された。三対一で勝っておりほぼ優勝が間違いない試合だった。私は、試合終了数分前に選手交代で試合に入るため、ピッチのサイドで待たされていた。ボールがサイドラインを割った時などに入るのだが、そのまま時間が来て試合は終了となった。その時の様子もテレビで放送され、あの時ほど恥ずかしいと思ったことはなかった。

その録画ビデオが、後日、学校の給食の時間に全校の各教室にあるテレビで放送された。そのビデオが流れている間、私は耐え難い気持ちでいっぱいだった。試合終了間際、サイドラインに立っていただけの恰好悪い姿など誰にもに見られたくなかった。

親とは、どんな形でも子供が試合に出してもらえ、その姿を見ることができれば嬉しいのだろうか。少なくとも私は違う。自分の子供が、親と言う自分の存在と温情だけが理由で試合に出されたのなら、私が子供の頃に強く感じた屈辱を同じように感じるだろう。

私は、サッカーが面白い、上手くなりたい、と思ってやったことはおそらく一度も無い。なぜ好きでもないサッカー部に在籍し続けたのかと思い返せば、一度始めた事をやめる勇気がなく、折角始めたのだから、という周囲の言葉を跳ね返す強い意思を持てなかったからだった。

一九八一年~一九八二年