日々辛いことばかりだった小学二年の時に書道を始めた。母は、どこで字を書いても恥ずかしくないようにと私に書道を習わせた。姉にはそろばん、私には書道を両親なりの考えがあって習わせたようだった。
書道教室とそろばん教室は同じ場所で行われていた。月・水・金は書道、火・木・土はそろばん、という具合だった。教室のある場所は、子供の足で家から徒歩十五分くらいの古びたビルの一番上の五階にあった。
母に連れられて初めて行った時、基本的な横線や楯線を教えてもらいながら書いた。その時に書道の先生から筋が良いと褒めてもらえた。それがとても嬉しくて、家に帰ってから半紙に習った横線と縦線を何度も書いた。上手く書けることが楽しかった。それから毎週月曜日に書道教室に通う事になった。
習い始めた私は、書道がどんどん上達していった。それと共にいつも汚いといわれていたノートの字が飛躍的に綺麗になっていった。習い始めた年の年末に市の公共機関が開催した書初めコンクールがあった。その地域の小学生は誰でも参加できた。私は小学二年の部に応募し、銅賞を取ることができた。私の学校で入賞できたのは私だけだった。その時の記念品は爪切りで、今も使用している。
その後、応募したコンクールではほぼすべて上位に入選した。気が付けば、その書道教室で上手な二人のうちの一人になっていた。
高学年になった時には、デパートが主催したコンクールで最優秀賞を取ることがでた。表彰式ではそのデパートにある書道教室の先生が、とても気持ちがこもっている素晴らしい作品、と評価してくれた。記念品はそれまでとは比べ物にならないくらい豪華だった。表彰楯と表彰状の他にゲーム付腕時計や小物をいくつかもらった。最後に入賞者全員で記念写真を撮った。その写真は今もアルバムの中でひっそりと眠っている。
勉強が出来ず、何事もやることが遅く、給食では屈辱的な思いをさせられ散々な小学二年だったが、たった一つ、書道が自分の取柄だと思うことで救われた。
一九七八年