小学三年の時、私の学校は二つに分離した。生徒の数が増え過ぎており、二年の時にプレハブ校舎が必要になったことからも、これまでの学校の大きさでは収まらなくなっていた。
分離後は、十クラスくらいあった私の学年は五クラスに減った。分離したのが私の学年だけなのか他の学年も分離したのかは覚えていない。分離する時には式典が体育館で行われたが、詳しいことは覚えていない。その時の私にはそのようなことに全く興味がなく、日々どのようにやり過ごすかだけしか頭になかった。
学校の分離に伴いプレハブ校舎は取り壊された。あの独特な匂いが漂う不快な教室を使用したのは私の学年だけだった。生徒の数は相当減ったはずだが、それでも私の学校はマンモス校には違いなく、生徒で溢れていた。
私が生まれた年は高度経済成長の時期に重なっており、その頃はとにかく子供が多かった。私の生まれ育った地方の田舎でも、国土開発が進んでいたため建設作業員はいくらいても足りないという感じだった。近所にはそのような労働者が長屋に多く住んでおり、どんどん子供が増えていった。また、そのような労働者は、数年後にまた別の建設現場の居住地に引っ越していくという場合も多かった。
あの頃はたしかに世の中が明るかった。至るところで子供の楽しげな遊び声が響いており、それだけでも街には活気があった。レストランや本屋、靴屋、レコード屋、おもちゃ屋、近所の商店街には人々で溢れていた。そんな良かった時代はとうの昔に過ぎ去り、その商店街は見る影もなくなってしまった。
一九八〇年