団体競技

私は、他者に気を使う団体競技が好きにはなれなかった。サッカー部でも試合形式の練習では、ミスをするとチームメイトから怒鳴られたり、監督も声を荒げたりした。私はそれが嫌で仕方なかった。

三年生の時は、単純に放課後まで学校に長く拘束されることが嫌だったが、四年生以降は、そのような精神的なものが嫌で仕方なかった。

失敗すると「何やってんだよ」とやたら怒鳴るチームメートが一人おり、特に私に厳しかった。気の弱い私は、そのように言われると萎縮してしまい、一層失敗をしてしまった。今であれば、そのような生徒は逆に糾弾されると思が、その当時のスポーツは精神論で語られることが普通であったため、当たり前だった。

監督も声を荒げて指導するタイプで、よくビンタをする人だった。その監督は私の性格を考えてのことなのか、私はビンタをされたことは一度も無かった。その監督はサッカー部の活動中だけではなく、クラスの授業中にも男の子だけにはよくビンタをしていたことは有名だった。

そのことに関しては一部の父兄からクレームが出ていたようで、私の卒業と同時にその先生も山奥の分校に転出となった。

私は、そのようなことから最後まで団体競技であるサッカーは好きになれなかった。持久力があり、運動神経もそこそこだったため一軍に選ばれて全国大会にまで出場したが、好きではないサッカーがそれ以上上手くなることもなかった。私には良い事も悪い事もすべて自分の責任となる個人競技の方が向いていた。それが、中学からバドミントンを始めたきっかけにもなったのだろう。

一九八〇年~一九八二年