黄色一本線

私はプールが好きだった。学校の水泳授業では、泳ぐことができた距離に応じて色の付いた横線の入った、名刺くらいの大きさの布がもらえた。五メートル泳げたら黄色線一本、十三メートルは黄色線二本、二十五メートルは赤線一本、という具合だった。その布をもらったら家に持ってかえって水泳帽に縫い付けてもらうのだが、水泳授業の時、帽子に着いている線を皆がお互いに注目していた。

小学一年の時、私は黄色一本が欲しくて、五メートル泳げるようになろうと必死だった。何度目かにやっとその黄色一本のマークを貰えた時は本当に嬉しくて、家で母に何度も自慢した。

私の住んでいた地域は海の近くだったため、水泳は身近だった。まれにではあるが水の事故があるため、学校では護身という観点から水泳授業に特に力をいれていた。夏場の水泳授業は、時間を多く取り、行き届いた指導がなされていた。そのため高学年になればほとんどの生徒が、我流の域は出ないまでも平泳ぎだけはできるようになっていた。海でいざという時、長時間泳ぎ続けるには平泳ぎが最も適しているため、実践を意識した水泳授業だった。

小学生の間は友達同士で海に行くことは禁じられていたため、夏休みには親にしつこく海に連れて行って欲しいと懇願したものだった。私の両親は共働きで時間などなく、さぞ困ったと思う。そんな中でも母は、仕事の合間にタクシーを使って短時間でも海に隣接した市民プールに連れて行ってくれた。私は楽しむというよりは、真剣勝負のつもりで上手くなるよう必死で泳ぎ、観覧席で見ていた母にもどうだったか繰り返し聞いた。母はいつも上手になったと褒めてくれた。そんな夏の日々が蝉の鳴き声と共に遠い記憶として残っている。

一九七〇年代後半