インベーダーゲームが登場しビデオゲームが日本中で流行った。様々なゲームが世の中に出回るようになり、その中でも私はパックマンに夢中になった。
家から帰ると小銭の入っている瓶から幾らか持って近くのおもちゃ屋にあるゲーム機の所に向かった。その瓶のお金は自分のものではなく家に置いてあったもので、罪悪感を感じながらも無断で取っていた。
数えきれないほど繰り返しパックマンをやり、上手な人のやり方を見ているうちに、モンスターに食べられることなくすべてのレベルをクリアできるパターンがあることを知った。わたしは、パターンを何度も紙に書き直して試行錯誤を続け、パックマンの動かし方のマニュアルを作成した。
そのため私は、普通ではまずクリアできないレベルまで行けるため、私のゲームプレイを見る子供達が集まってきた。それはゲーム機の周りにギャラリーができるがごとくだった。私より年齢の上の子も何人もいた。
ある時、高学年の子が、大きなゲームセンターにいっしょに行かないか、と誘ってきたことがある。私はお金が無いから行けないというと、その子は自分が出してあげるから行こう、と言ってきた。最初、私はそれならいいよ、と言ってついていこうとしたがすぐに怖くなり、やっぱり行かないと言って家に走って帰ったことがあった。今思えばそれは不良の仲間入りの分岐点だったのかもしれない。
半世紀も前の田舎町では、地域の人はほとんどが顔見知りで、私がおもちゃ屋に頻繁に通っていることは、おもちゃ屋のおばさんを通して母に伝わっていた。母が、ゲームに夢中になっている私を連れて帰るため、そのおもちゃ屋まで来たこともあった。母は血相を変え、こんなことをしていてはダメだ、と言って私を家に連れて帰った。
私は悪い事をしていると自覚していた。そのような行動に至るには、学校での生活が耐えがたい程苦痛であったことに原因があり、通り一遍の注意など私の心には全く響かなかった。小学二年の時に担任からひどい扱いを受け以来、教師や大人を全く信用しなくなっていた。
あのような時は、悪い事だから悪い、という至極正しいことを言っただけでは子供には伝わらない。子供には、心を深く傷つける何かがあったり、他に原因があるに違いなく、その原因と根本的に向き合わない限り、前向きな解決はできないと自らの体験を通して思う。
その後も私はゲームをやめることはなく、新しいゲームが出ればそれに夢中になった。そんな日々は小学四年に再びサッカー部に入部する時まで続いた。
一九七九年